昨年の9月9日(2020年09月09日)、私はマニラからセブに移動するため、大型フェリーに乗った。
マニラでロックダウンの規制が敷かれている最中ということもあり、現在はもうないが、当時はどこかに移動するのも「トラベルパス」といった移動許可証が必要だったのだ。
その「トラベルパス」の取得に成功し、フェリーにてセブに帰ることになった。
フェリーのチェックインも問題なかったので、本当にほっとした。

さよならマニラ
その日の昼頃に出航予定だったフェリーを遅延して、午後11時ころ、ようやくフェリーがセブへ向けて出発した。

セブの到着は24時間後、9月10日の午後11時頃となる。
フェリーが出発後、甲板に出てマニラの夜景を眺めてた。やはりマニラは大都会といった感じがするほど光り輝いていた。
フェリーでの寝るところだが、2段ベッドがたくさん設置してある部屋があり、そこで自分のチケットに書かれたベッドの番号があるので、その番号のベッドにて寝ることになる。
このときは、まだコロナが蔓延している最中。ソーシャルディスタンスを取るようにすること、密集しないようにすることなど、注意をしなければならないことがたくさんあった。
しかし、ベッドが設置してある部屋は、ベッドとベッドの間隔は非常に狭く、さらに人が密集しているような状態になっていた。
この乗客の中に、コロナ感染者が一人でもいたら全員に感染することは容易に想像できた。
船内はやることがない

フェリーによるセブへの移動が長いので、何か娯楽はないものかと船内をウロウロしてみたが、そんなものは見当たらなかった。
売店はあるのだが、酒は売ってない。この時、酒類の販売は禁止されていたのだろう。お菓子もほとんどない状態。
サロンらしきものがあり、オカマと思われる者が店内で暇そうにしているのが見えた。
食堂もある。フェリーのチケットには食事込みと書かれていたので、食事が食べられるはずだった。決まられた時間に食堂にて弁当が配られるというスタイルだった。
乗客はやることがないので、スマートフォンで遊んでいたりしていた。海上ということでシグナルは非常に弱かった。
夜は甲板にでて、遠くの街の明かりなどを見ながら時間を潰したりしていたが、すぐ飽きてしまう。
船内での食事

船内で配られる弁当とは、どのようなものだったのか。
私が食べたのは下記の2種類の弁当だった。
- 春巻きとご飯
- 揚げ魚とご飯
量はそれほど多くないが、春巻きは普通に食べることができた。
しかし、揚げ魚はハズレだった。
揚げ魚だが、一匹の魚を頭、胴、尻尾と三等分にし、
頭とご飯、胴とご飯、尻尾とご飯といった形で、弁当のパックに詰めていったのだろう。
胴と尻尾の方には、肉がたくさん付いているので、食べる部分が多くなっている。
しかし、頭の部分はほとんどと言っていいほど、食べるところがない。
弁当は、時間になったら船内アナウンスが流れ、食堂にて配られる。
一人ひとりに弁当が配られ、スタッフから渡される。
「そこの左側にあるパックをくれ」などと自分で選ぶことができない。よって、フェリーのスタッフがランダムに配るパックをもらうしかないのだ。
そして、私がもらった弁当のパックの中身は、揚げ魚の頭だった。
フィリピン人のように、魚の頭をバリバリとかぶりつくようなことはしたいとは思わなかった。
フェリーに乗る前に、何か自分で食べ物を買って、フェリーに持ち込むことをお勧めする。
セブ島が見え始める

マニラの方からフェリーでセブ島に向うのだが、セブ島の最北端にあるマラパスクア島が見えたら、もうセブはすぐそこにあることがわかる。グーグルマップなどで事前に航路を調べておくとよい。
マラパスクア島は、白い砂浜が広がり、小さなリゾートが立ち並ぶ島だ。特に白人たちがリラックスしに訪れる場所となっている。
そのマラパスクア島を越えると、セブ島が見える。
マラパスクア島が見えていた時は、既に夕方となっており、あたりは薄暗くなってきていた。
そして、セブの街の明かりが見えてきた頃には、午後9時を既に過ぎていた。
セブの街の明かりは、マニラの強い光ではなく、なんとなく元気がないような弱い光だった。
マクタン島をぐるりと回って、セブの港に向かう。その時通り過ぎたマクタン島にある多くのビーチリゾートは、ほぼ真っ暗。
パンデミック前は、多くの観光客でに賑わっていたこれらのビーチリゾートも、この時は観光客の宿泊客もおらず、ほぼ死んでいるような状態だった。
パンデミックで、世界が変わってしまったということを強く感じた。
セブの港に到着
現在建設中のマクタン島とセブ島を結ぶ第3の橋を越えれば、港はすぐ目の前となる。
見慣れた景色が目の前に広がってきたときの感動は今でも覚えている。住み慣れたセブは、やはり良いところだと思った。
そして、セブに戻ってから1年が経った。
やはりマニラにいた時よりも気持ちが楽になった。
自由に外出ができないコンドミニアムに閉じ込められたような生活、会社からの解雇通告など辛いことばかりが思い出されるマニラでの生活は、現在もトラウマとなっている。
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